MORGANの歴史
私たちはMORGANの正規ディーラーとして、その豊かな歴史を誇りに思っています。このページでは、創業者H.F.S.モーガンから始まり、現在に至るまでのMORGANの歩みを、それぞれの時代を象徴する写真と文章でご紹介します。
創始者 H.F.S.モーガンの軌跡
1881年8月 : H.F.S.モーガン誕生
ヘンリー・フレデリック・スタンリー・モーガンは1881年8月に、英国ヘレフォードシャーのモートン・ジェフリーズ牧師館で誕生しました。彼こそは、モーガン・モーター・カンパニーの創業者にして、約50年にわたりモーガンの舵取りを行った人物です。ここからモーガンの歴史が始まりました。
1901年~ : 自動車への関心
H.F.S.モーガンは、クリスタルパレス工学学校にて機械工学等を学び、その後、1901年に、G.W.R.(グレート・ウェスタン・レイルウェイ)のスウィンドン鉄道工場に徒弟として入社しました。20世紀初頭は、富裕層のみの所有物であった自動車が、徐々に大衆にも普及し始めようとした頃です。H.F.S.モーガンも1902年に初めての車、スターを購入し、自動車の知識を深めました。この時期の経験が、彼が自動車産業に足を踏み入れるきっかけとなります。
1905年5月 : 最初のガレージ開設
1905年5月、マルヴァーン・リンクに自動車販売&整備工場として、最初のガレージを開設しました。このガレージが、後のモーガン・モーター・カンパニーの礎となります。同時にダラック車とウォルズリー車の代理店も併設。ほかに、バスサービスも運営しましたが、こちらの事業は失敗に終わったため、レンタカー事業に切り替えました。
3ホイーラー(三輪車)の時代と栄光
1909年5月 : モーガン車の元祖「リトルスター」
H.F.S.モーガンが最初に製作したのは、7馬力のプジョーの2気筒エンジンを搭載した三輪車「リトルスター」でした。当時としては珍しいバックボーン・シャーシと、モーガンが独自開発したスライディングピラー式と呼ばれる独立懸架フロントサスペンションを備えた「リトルスター」は、少量のみの生産でしたが人気を博し、その後の成功の足がかりとなります。
1910年11月 : 初の量産車「ランナバウト」
1910年、父ジョージの財政的支援を受け、工作機械を購入。ガレージを拡大し、本格的な自動車生産に乗り出します。最初の量産型モーガンは、ロンドンのジョン・アルフレッド・プレストウィッチ(JAP)社が製造したエンジンを搭載した「ランナバウト」です。同年ロンドンのオリンピアで開催されたモーターショーで3台のシングルシーターの「ランナバウト」が披露されました。
1911年2月 : 高級百貨店「ハロッズ」に登場
シングルシーターの「ランナバウト」は、大きな関心が寄せられたものの注文はわずかだったため、市場の需要を満たすには2人乗りが必要と判断され、ホイール式ステアリングとボンネットを備えた2シーターの「ランナバウト」を開発。1911年のモーターサイクルショーに出展されました。これは成功を収め、ロンドンの高級百貨店ハロッズが代理店となり、販売されました。モーガンはハロッズのショーウィンドウに登場した唯一の自動車です。
1912年 : 「モーガン・モーター・カンパニー」設立
1912年、モーガン・モーター・カンパニーを非公開有限会社として設立。(モーガン社では最初の車を造った1909年を設立年としています)父H.G.モーガンを会長、H.F.S.モーガンを代表取締役社長としました。この時期には、実験的に4シーターの「ランナバウト」も制作されています。
1912年~1914年 : レースでの成功
モーガンはモータースポーツへの参加を通じて販売を促進する方針を確立。1912年にはブルックランズでライトカー&サイクルカーが主催する1時間走行距離最長距離トロフィー獲得を目指して挑戦しました。この時55マイル(89km)を走破するも、GWKに僅差で破れましたが、同年後半に再挑戦し、約60マイル(97km)を走破しました。
1913年には「非常に過酷」とされたACUシックスデイズ・トライアルで優勝し、その後も1914年の第一次世界大戦勃発までに、モーガンは速度記録を10個、主要なトライアルで24個の金メダルを獲得、レース優勝も数多く達成しました。レースで使用されたモデルは、1913年から1926年にかけての「グランプリ」モデルのベースとなり、「エアロ」や「スポーツ」モデルへと発展していきます。
1913年12月 : ピッカーズレイ・ロードに工場を拡張
1913年12月、マルヴァーン・リンクのピッカーズレイ・ロードの土地を購入し、工場を拡張しました。現在まで続くモーガン本社工場の誕生です。レースでの成功を受け、第一次世界大戦勃発まで売上は順調に伸び、生産台数は1000台に迫りました。
1914年7月~ : 第一次世界大戦と戦後の展開
1914年、第一次世界大戦が勃発すると、工場は主に軍需品製造に転換されました。しかし、それでも一部の自動車製造は継続され、1917年にはモーガンのレンジにニューモデルとして、4シーターの「ファミリー」が
加わっています。
1918年11月に世界大戦が終結し、平和が戻ったとき、モーガンは主に設計のシンプルさのおかげでフル生産を最初に再開できたメーカーのひとつになりました。この頃、後輪を簡単に交換できるように改良が加えらています。
1920年代 : 「エアロ」&「スーパースポーツ」の誕生
1921年型「ポピュラー」は、8馬力のJAPエンジンを搭載し、ポプラ材のボディを採用。これは販売に成功し、1923年にはブラックバーン製エンジンも利用可能になったため、名前が「スタンダード」に変更されました。発売から数年で価格も下がり、大衆向けの廉価版モデルとしての位置づけになっていきます。
1924年、E.B.ウェアのJAPエンジン搭載車がブルックランズで開催されたJCC200マイル(320キロ)レースで横転し、ウェアは重傷を負いました。これを受け、三輪車が自動車として競技に参加することが禁止され、モーガンのレース活動は一時的に大きな打撃を受けました。
ダイナモライトが標準となった1925年、ジョージ・グッドオール氏が会社に加わり、1911年以来H.F.S.といっしょだったA・ヘイルズ氏からジェネラル・マネージャーの職を引き継ぎました。ジョージ・グッドオール氏はその後、4/4の開発やレース活動など、MORGANにおける中心的な役割を果たします。この頃、自動車の大衆への普及が益々進み、需要増に合わせて工場を拡大しています。
1927年には前輪ブレーキと電動スタートが利用可能になり、電動ホーンも備えました。一方新しい「エアロ」をより発展させ、オーバーヘッドバルブのJAP 10/40水冷Vツインを搭載した「スーパースポーツ」がデビューしました。
1930年 : 世界記録の達成
1930年、パリ南部のモンレリーにあるバンク付きサーキットで、グウェンダ・スチュワート夫人が117mph(約188.3km/h)の速度で1時間世界記録を樹立しました。
堅牢で信頼性のあるモーガンは、エジプトのピラミッドの横で撮ったこの写真のように、世界各国にも輸出されました。モーガンの三輪車は、改良を重ねながら1910年から1952年までの40年以上にわたって生産され、約4万台が製造されました。
1933年~ : フォードエンジンを搭載した「Fシリーズ」登場
1933年、オリンピア・モーターサイクル・ショーで4人乗りの「F-4」の発表を皮切りに、フォード・モデルYに搭載されていた8馬力および10馬力のサイドバルブエンジンと、新しいプレススチール製シャーシを採用した、Fシリーズの三輪車の生産に乗り出しました。1935年には2人乗りの「F-2」、1937年にはサイクルタイプのウィングとルーバー付きボンネットトップを備えた、よりスポーティな「Fスーパー」が生産され、1952年の生産終了まで続きました。
四輪車の時代へ
1936年 : モーガン初の四輪車「4/4」発表
1936年、プロトタイプの四輪車がロンドンとパリのエキシビションで披露されました。これがモーガン初の四輪車「4/4」の誕生です。「4気筒・4輪」を意味する「4/4」は、34馬力、1,122ccのコベントリー・クライマックスエンジンを搭載し、後部にスペアホイールを2つ装備したこの2人乗り「4/4」は人気となり、1937年には4人乗りモデルが、1938年にはドロップヘッドクーペが追加されました。
1936年、H.S.F.モーガンの父にして、初代会長のH.G.モーガン師が亡くなりました。
1937年にはル・マン24時間レースに出場。1939年には、コベントリー・クライマックスがエンジンの生産を中止したため、スタンダード・モーター・カンパニー・テンの39馬力、1,267ccエンジンに切り替えました。
1939年 : 第二次世界大戦と生産停止
第二次世界大戦中、自動車の生産は完全に停止され、修理のための2つの部門のみが維持されました。
戦時下でも愛好家たちは交流を続け、1945年にモーガン・3ホイーラー・クラブが結成されました。
1950年 : 「プラス4」の登場
1947年、スタンダード・モーター・カンパニーは「ワンエンジンポリシー」を発表し、モーガンのモデルラインナップにも大きな影響を与えました。これによるエンジン供給枯渇に伴い、1950年、「4/4」が生産中止。入れ替わりで同年、排気量2,088ccのスタンダード・ヴァンガード・エンジンを搭載した「プラス4」が製造されました。
1955年~ : 「4/4」 の再登場とエンジンの変遷
1955年、フォード100E(1,172cc)エンジンと、フォード製3速ミッションが搭載された「4/4」が、「シリーズ2」として再登場しました。その後、1960年にフォード105E(997cc)とフォード製4速ミッションを搭載した「シリーズ3」、1961年にフォード109E(1340cc)を搭載した「シリーズ4」、1963年フォード116E(1498cc)を搭載した「シリーズ5」、1968年にフォードKENTエンジン(1,598cc)、、、と続いていきます。
1953年~1969年 : 「プラス4」とトライアンフエンジン
「プラス4」に搭載されたエンジンは、より高いパフォーマンスを求める声に応える形で、段階的にトライアンフエンジンに切り替わりました。1953年にトライアンフTR2(1,991cc)、1956年にTR3(1,991cc)、1961年にTR4A(2,138cc)が搭載されました。ルー・スペンサーが駆ったTR3エンジン搭載の「プラス4」は、その高性能と見た目から「ベビードール」と呼ばれ、親しまれました。「プラス4」はトライアンフエンジンの供給が枯渇したため、1969年に生産が中止されました。
1959年 : H.F.S.モーガン逝去
1959年、約50年にわたってMorgan Motor Companyを率いてきた創始者H.F.S.モーガンが逝去しました。会社は息子のピーター・モーガンに引き継がれました。
1962年 : ル・マン優勝と「プラス4 スーパースポーツ」
1962年、ル・マン24時間耐久レースでクリス・ローレンスとリチャード・シェパード‐バロンがモーガンを勝利に導きました。ローレンスチューンの「プラス4」が成功を収めたことを受け、より高性能なバージョンである「プラス4 スーパースポーツ」が発売されました。
1963年 : クーペスタイル「プラス4プラス」
1963年、モーガンは、「プラス4プラス」という全く新しいクーペスタイルのモデルを発表しました。しかし、当時のモーガンの愛好家には不評で、計画された50台中、実際には26台しか製造されませんでした。
「プラス8」の誕生とモーガン車の変遷
1968年 : 「プラス8」 の誕生
1966年、トライアンフTRエンジンが生産終了に近づく中、ローバー製V8エンジン(3.5L/143馬力)を搭載した「プラス8」が誕生しました。このV8エンジンはトライアンフのエンジンと同等の重量だったこともあり、「プラス4」よりも全ての面で大幅に性能が向上し、「プラス4」に代わる車種として注目されました。その後、3.9L(1990年)、4.0L(1998~2004年)、そしてオプションで4.6L(1996~2000年)へと排気量が拡大していきました。
1968年~1993年 : 「4/4」の変遷(1,600cc)
「4/4」はその後もモーガン車を代表するクルマであり続けます。1968年に、フォードKENTエンジン(1,598cc)とフォード製4速ミッションを搭載。1981年11月よりフィアットのツインカム(1,584cc)とフィアット製5速ミッションを搭載。それに並行して1982年3月フォードCVH(1,597cc)とフォード製4速ミッションを搭載し、後にフォード・シエラの5速ミッションに変更されました。キャブレターからインジェクションに変更された1991年には、フォードCVH(1,597cc)とフォード製5速ミッションを搭載しています。
1970年代 : レースでの活躍
1970年代を通じて、モーガンは様々なレースシーンで活躍を見せます。1975年、1976年にはBRSCC (British Racing and Sports Car Club) のプロダクションスポーツカー選手権にて「4/4」での優勝が記録されています。また、「プラス8」もこの時期英国で最速の加速性能を誇る量産車だったため、様々なレースでクラス優勝を飾りました。
1985年~2000年 : 「プラス4」の復活 ~シリーズ2~
1985年、「プラス4」は「シリーズ2」として、フィアットの2Lツインカムエンジン(122馬力)と、「プラス8」のギアボックスとクラッチを搭載して再登場しました。このモデルは1988年までしか製造されず、その後ローバーのM16iエンジン(138馬力/2L)とそれにマッチする5速ミッションに置き換えられました。1992年にはT16エンジンに置き換えられ、2000年に再び生産中止になるまで続きました。
1993年~2009年 : 「4/4」の変遷(1,800cc)
「4/4」は1.6Lから1.8Lに排気量がアップします。1993年、フォード製ゼテックRエンジン(116馬力/1,796cc)を、2006年から2009年にかけて、マツダ製のフォード・デュラテックエンジン(125馬力/1,798cc)が搭載されました。
創立100周年 : エアロシリーズと新たな挑戦
1994年~2004年 : アルミニウムシャーシの「プラス8」
キャブレターからインジェクションに切り替わった1990年代には、もう一つ注目すべき大きな動きがありました。約60年ぶりの全く新しいモーガンシャーシとして、従来のスチール製ラダーフレームに代わる「アルミニウムシャーシ」を採用した「プラス8」が登場しました。これは1995年9月に発表されたロータス・エリーゼと同様の製造方法です。この技術は次の「エアロ8」で本格的に導入されます。「プラス8」の生産は、ローバーV8エンジンの生産終了に伴い、2004年に終了しました。
2000年3月 : BMW製V8エンジンを搭載した「エアロ8」
2000年、「アルミニウムシャーシ」に「BMW製V8エンジン」を搭載した「エアロ8」が発表されました。2002年から本格的に生産・販売され、2009年の生産終了を挟んで、2015年に再発売されました。2015年3月に発表された最新のエアロ8(シリーズV)は、6100rpmで367馬力を出力し、最高速度は270km/h以上になり、0-100km/h加速は4.5秒という速さでした。
2002年、「エアロ8」をGTレース仕様に改造した「エアロ8 GT」にて参戦。クリス・ローレンスとリチャード・シェパード‐バロンの勝利から実に40年ぶりの挑戦となり、クラシックな見た目と現代的な空力パーツの組み合わせは多くの注目を集めました。その後もモータースポーツ活動への挑戦は続き、モーガンの技術開発を進める上で重要な役割を担っていきます。
2003年 : ピーター・モーガン逝去
2003年、モーガン・モーター・カンパニーの会長を務めたピーター・モーガンが逝去しました。その子チャールズ・モーガンへと経営は引き継がれました。
2005年3月 : 「エアロマックス」登場
2005年、ジュネーブモーターショーにて、「エアロ8」のクーペスタイル「エアロマックス」が発表しました。モーガン生誕100周年を記念して100台の限定生産が決定。2008~2009年に生産されました。(実際には100台以上生産されました)
2008年3月 : 「ライフカー」
2008年のジュネーブモーターショーにおいて、環境へのコミットメントを強調する燃料電池車(水素自動車)のコンセプトカー「ライフカー」が発表されました。
2009年 : 100周年を祝う
2009年はモーガン・モーター・カンパニーにとって非常に特別な年であり、創立100周年を祝う様々なイベントが開催されました。
2009年 : 「エアロ・スーパースポーツ」発表
2009年のヴィラ・デステ・エレガンス・コンクールで、100周年を記念した新しい「エアロ・スーパースポーツ」が発表されました。「エアロマックス」のタルガトップバージョンです。
2009年、モーガンのブランドにとってモータースポーツが重要であることを強調するために「エアロ・スーパースポーツ」でFIA GT3
FIA GT3に参戦しました。
2012年~2020年 : 「プラス8」の復活
2012年のジュネーブモーターショーで、モーガンは4.8リッターBMW V8エンジンを搭載した「プラス8」の新型を発表。2020年に「エアロ」シリーズが廃止されるまで、「エアロ8」と同時に販売されました。なお、同ショーで、モーガンは「プラス8」の電気自動車版である「プラスE」も発表しました。
クラシックモデルの復活と終焉
2004年~2020年 : 「プラス4」 ~シリーズ3~
エアロの開発が進む中でも、「4/4」を始めとした伝統的なモデルの生産は続けられました。約4年間の生産中断期間を経て、2004年、
「プラス4」が、フォード製2.0Lデュラテックエンジン(156馬力/1,999cc)を搭載して再生産されました。発売当時の最高出力は145馬力でしたが、後に154馬力に向上。2020年に生産終了となりました。
2004年~2019年 : 「ロードスター」登場
ローバーV8エンジンの供給枯渇により生産終了した「プラス8」に代わり、フォード製V6エンジン(284馬力/3,721cc)を搭載した
「ロードスター」が登場しました。クラシックレンジ唯一の6速ギアボックスや、パワーステアリングなども標準装備したモデルです。2019年に生産終了となりました。
2009年~2018年 : 「4/4」 ~量産車として世界最長の歴史~
1.8Lだった
「4/4」は2009年、再び1.6Lにダウンサイジングが行われます。フォード・シグマエンジン(110馬力/1,595cc)を搭載し、最高速度185km/hを発揮。当初フォード製のギアボックスを採用していましたが、2012年からはマツダ製のユニットが搭載されました。2018年に生産終了となり、その長い歴史に終止符が打たれました。1936年の誕生以来82年間、量産車として単一モデルが継続して生産され続けた例としては世界最長の記録です。
2011年~2021年 : 「3ホイーラー」 ~59年ぶりの復活~
創業初期の象徴である三輪車
「3ホイーラー」が、S&S製V型2気筒エンジンとマツダ・ロードスターの5速MTを採用し、現代的な解釈でリバイバルされました。主に排ガス規制への対応などにより、2021年に生産終了しました。
現在、そして未来へ
2019年 : 経営体制の刷新 ~新時代のはじまり~
2019年、イタリアの投資ファンド「インベストインダストリアル」がモーガン・モーター・カンパニーの過半数株式を取得し、筆頭株主になりました。これにより、創業当時から続いたモーガン家による家族経営から、投資ファンドが主導する経営体制へと移行されました。この買収後も、モーガン家は少数株主として引き続き会社に関与しており、H.S.Fモーガン以来の基本理念と価値感、伝統を継承しています。
2019年~2024年 : 「プラス・シックス」 ~新型シャーシの導入~
2020年3月~ : 「プラス・フォー」 ~モーガン初の4気筒ターボ~
2020年、「CXジェネレーション接着アルミプラットフォーム」とBMWツインパワーターボ直列4気筒エンジン(258馬力/1,998cc)を採用した
「プラス・フォー」を発表しました。前世代の「プラス4」から97%のコンポーネンツが新しくなった、革命的な進歩を遂げたモデルです。
2022年2月~ : 「スーパー3」 ~新時代の3ホイーラー~
2022年、「3ホイーラー」の後継モデル、「スーパー3」を発表しました。フォード製1.5L直列3気筒エンジンとマツダ製5速MTを搭載し118馬力を発揮します。残念ながら日本の検査基準に合わない為、日本での発売は予定されていません。また、現在モーガンは3輪EVスポーツも開発中です。
2025年3月~ : 「スーパースポーツ」 ~伝統と革新の融合~
2025年、「プラス・シックス」の後継モデルとして
「スーパースポーツ」を発表しました。モーガンのアイコニックなデザインを残しつつも、現代的なスタイルに寄せたスポーティなモデルです。BMWツインパワーターボ直列6気筒エンジン(340馬力/2,998cc)を搭載している点は同じですが、シャーシの剛性向上、ステアリングシステム、サスペンション、電装系等の改良など、快適性と実用性が向上しています。